理事長物語

むかしむかし・・・
太平洋戦争が始まり、上野動物園が空襲に備えて猛獣たちを薬殺した時代。
福祉の制度はまだ「社会事業法」として戦時厚生事業が主だった頃のお話です。

ある県のある家庭に、一人の男の子が生まれました。
家庭にとっても、当時の国にとっても貴重な男の子です。

しかし、その男の子は「新生児黄疸」が強かったため、治療を受けましたが「脳性麻痺」となってしまいました。

その家庭では男の子を大切に育てましたが、当時の脳性麻痺(障害)に対する知識・理解が現在ほど深くはなく、男の子のお父さん・お母さんもどうして良いか解らないまま育てていました。

お母さん・お姉ちゃんは優しく
お父さん・お兄ちゃんは厳しく男の子に接していました。

男の子が成人近くなった頃・・・
近くに障害者の入所施設が出来る。と情報が入り、男の子のお父さん・お母さんは、入所させることを決意したのです。

お父さんは男の子に言いました。
「10年たったら必ず迎えに来る。それまでに自宅もお前の住みやすい環境にする。だからここで生活しながら待っていろよ。」と。

男の子はそのお父さんの言葉を信じ、施設に入所したのです。

入所中、入所施設におけるさまざまな『非人道的』な扱いが報道されました。
府中療育センター闘争も、そのうちの一つです。

それでも男の子はひたすら耐えました。
様々な非人道的な事をされましたが、10年の我慢と自分に言い聞かせながら時が経つのを待ったのです。

いよいよ男の子が施設から出られる時が来ました。
自宅は男の子が住みやすい環境になっているでしょう。
お父さんもお母さんも男の子も、お互いに一緒に住みたかったに違いありません。

男の子はお父さんに言いました。
「約束の10年が経ったよ。家に帰りたい!」

するとお父さんは

「そんな約束をした覚えはない」

自宅に帰りたい思いを持ち続けながらひたすら耐え抜いた入所生活。

父親との約束だけが心の支えだったでしょう。
その父親に裏切られてしまいました。

男の子はどうなったのでしょう?

理事長!その後どうしたのか教えてくださ~い!!